天然の白樺きのこに出会えた事が嬉しくて2007年に会社まで創ってしまったカバノアナタケ茶専門店 MIYOKIの1103店長です。
昔のこと・・・胸部レントゲンで見つけてもらえなかった気管支拡張症。
咳が苦しくて苦しくて~レントゲンを撮って気管支炎と言われていた。息つく間もないひきつるような咳が虫が湧くようにゾワゾワと這い上がり、それを私は咳虫と呼んでいた。そして緑色の痰が肺からどんどんと湧き出てそれを肺から絞り出しているような感覚だった。
処方される薬はいつも咳止めと抗生剤~3日程服用すると咳が鎮まりだす。しかし服用中は手が震え焦点が合わなくなり文字がよく見えなくなるような強い薬だった。
風邪やインフルエンザにかかった無神経な人に腹がたったりした。今ではインフルエンザ=外出禁止だけど、以前は無神経な人が多かった。そんなだから人が集まるところや人混みは極力避けた。避けられなかったのは公共交通機関~車の免許を持たないときの移動手段はそれしかありませんでした。咳が止まらないときは人様に不快な思いや心配をさせて申し訳ない!と、いたたまれず何度も途中下車をした。
昔を思い出すと今の自分が信じられないくらい幸せに感じます。咳から逃れたい一心で色んなことを試しました。
今は咳が怖くてお布団に入れないとか不安に思う事は一切なくなりました。安眠できるって究極の幸せだと心底思っています。そしてどうやって克服していったか、自分史を振り返りながら、気管支拡張症で未だ苦しんでいる人にちゃんと伝える=それが私の使命なんだと改めて思いました。
10歳の時に原因不明の高熱が続き病院の先生に「万がいちのときは諦めてください。もし一命をとりとめたとしてもなんらかの支障が出る可能性があります」みたいなことを親は告げられていたようで・・・でも今生きてます。これは生かされたと思うべきなのかもね。ということで、色々あったけど丸儲け人生やね(笑
咳が克服できてよかったなと感じる瞬間~お布団に入るとき、わんにゃんと一緒に暮らして共に時間を過ごすとき
日本医科大学大学院医学研究科呼吸器内科学の気管支拡張症綜説PDF
2017年厚生労働省患者調査報告より
気管支拡張症推定患者数部参照抜粋